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【心理学コラム】クリスマスの散歩。今年もお世話になりました。
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心理
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「人」に関しての「ふ~ん」「へー」「ほっ」
シリーズ
小林厚志の「やっぱり頑張ろう」
自称下町心理学者の小林厚志が、身近にあるのに何となく理解し難い「心」「精神」「意識」をテーマに、まるで街ブラかのような感覚で「ふ~ん」や「へー」をお届けします。
お勉強の合間の息抜きに、ごゆるりとお付き合いください。
※学者口調を意識したので敬語が省かれてることをご容赦ください。
師走。
12月特有の忙しさがうまく表現されているように感じる言葉である。
もともと「師走」とは「師匠である僧侶がお経をあげるために東西を馳せる月」という意味の「師馳す(しはす)」であったという由来などがあるが、今となっては、はっきりとはわからないだろう。
時代と共に本来の意味合いが変わり、その地域の文化と混ざり合い浸透していく様は、実に興味深いことだ。
その最たることの一つに「クリスマス」を挙げることができる。
クリスマスはもともと…
・「Chirist」はキリストのこと、「mas」はミサ(礼拝)という意味
・ここでいうミサは降誕祭のこと、よく言われる「イエス・キリストの誕生日」ではない
・冬至の時期に行われてた、
ローマ帝国の「農耕の儀式」とミトラ教の「光の祭り」を合体させた
・合体させた結果、宗教同士の対立を回避し、
キリスト教を民衆に浸透させるきっかけになった
・イブとは「evening」を略した言い方。
つまり、クリスマス・イブは「クリスマスの夜」という意味
・教会暦に則るとクリスマス当日は、
現在でいう(グレゴリオ暦)12月24日夕方4時頃から始まった
・クリスマス・イブは「クリスマスの前日」を祝っていたのではなく、
「クリスマス当日にクリスマスの到来」を祝っていた
・サンタクロースのモデルは、司教をしていた聖ニコラウス
・聖ニコラウスはオランダ語で「ジンタークラース」、
それが訛って「サンタクロース」になった
・聖ニコラウスは赤い服を身にまとっており、これがサンタクロースの服のモデル
・司教の赤い服は、自分の命をかけてでも他の人を助け、
血を流しても人々のために尽くすという意味
などであった。
現在の日本のクリスマスから、これらを感じ取ることは難しいだろう。
日本独自のクリスマス文化として、クリスマスイブの夜にフライドチキンやショートケーキが食卓に並ぶが、どちらも大手企業による販売戦略によって習慣化したものだ。
「家族よりも恋人と過ごす」という価値観も日本独自のものであり、海外ではクリスマスは家族で礼拝をしたり、ゆっくり過ごす日である。バブル期のテレビドラマやヒットしたクリスマスソングの影響を受けてこのような価値観ができたと考えられる。
ちなみにだが、オーストラリアのサンタクロースは
半袖・半ズボンでサーフボードに乗って登場するのが一般的だ。
この「クリスマス」のように、本来の意味合いが変わり、
その地域の文化と混ざり合い浸透していることは、数多く存在している。
ハロウィン、ゴールデンウィーク、バレンタインデー、お盆、厄年などなど、
由来を調べていくと面白いだろう。
そんなことを考えていると気になることが現れてきた。
「なぜ広まったのか?」
当然、企業の広告や布教活動などの人的な影響により広まった、というのは理解するが、
そもそもの理由があるのではないか?
その一つの要因に、
ユヴァル・ノア・ハラリの「人類は噂話で進化した」という考察がある。
まだ私たち「ホモ・サピエンス」以外の人間(ネアンデルタール人、ホモ・エレクトスなど)が存在してた時代では、私たちホモ・サピエンスよりも強くて俊敏で賢い種族がいた。
強くもなく賢くもない私たちホモ・サピエンスだけが生き残った理由の一つに、
言葉の発達が挙げられる。
それは、簡単にいうと、ホモ・サピエンスは、
言葉の中に、虚構や噂話を組み込めるようになったということだ。
ちなみに、虚構(きょこう)とは、現実には存在しない物語や情報、
イメージのことで創作や想像の産物であるものを生むことができる。
私たちは現在、虚構だらけの中に生きている。
貨幣、学校、平等、国家など、概念上成り立っているが、実際に物理的に掴むことのできないものである。
私たちホモ・サピエンスは、この虚構と噂話を使うことにより、
大きな集団を作ることができた。
例えば、チンパンジーなどは、集団として100頭程度が限界とされている。
100頭を超えると統率がとれなくなり、別の新しい集団を作るという。
一方、ホモ・サピエンスは、虚構と噂話を使い、同じくくりやシンボルを用いることで、今でいう国家、府民、地域、アジア、仲間、人類などのような、より大きなくくりを作った。
さらに、「あの種族は危険だ」「家族を守るために戦うべきだ」などの
強固な目的としても使うことができた。
その結束がゆえにホモ・サピエンスは、大きな集団を作ることが可能になったのだ。
そして、人類は古代から、同種による間引きというシステムを実践してきた。
食料の限られていた太古、競争の厳しい環境では、
他者を排除することが生存のための重要な戦略であった。
同種による間引きの殺人行為は太古から多く見られ、生き残るためには、
自己の生存をアピールし危機を回避する必要があった。
この状況を踏まえると、噂話に生き残りをかけたメリットが出てくる。
私たちは噂話を通じて、自分自身を良い人間であるとアピールし、
他の人々に自己を保護するメッセージを発信した。
これは、自己保身から社会的生存戦略への進化の一環とも言える。
また、噂話は他の人間に間引きが向くように仕向ける効果も持っている。
私たちは自身を守るために、他人の欠点や過ちについての噂話を広めることで、
自身の立場を強化しようとしてきたのである。
このような背景を持つ私たちだと考えると、クリスマスのようなことが広まったことを、
どこか自然に感じるのは、私だけであろうか。
そしてどこか、
クリスマス特有の高揚感のようなものが薄まってしまったのも私だけであろうか。
そんなことを感じながら阪急電車に乗っていた。
阪急電車は、関西では馴染みのある電車で、
大阪の梅田を中心に、大阪と神戸・宝塚・京都などを結ぶ鉄道だ。
そんな阪急電車の中づり広告にこんなものがあった。
「席をゆずった。笑顔をもらった。」阪急電車
クリスマスの話を持ち出しておいて、
プレゼントの話がないことに気づかされ、どこか高揚感のようなものを思い出した。
私たちは、自己保身のためだけに他人を殺めていた時代もあったが、今や自己を超越して他人のために行動を起こすことができるようになっている。
日本独自のクリスマス文化があるように、私たち人類そのものも、本来の意味合いが変わり、その地域の文化と混ざり合い浸透しているということか。
「ハーバードの人生を変える授業」のなかで、
タル・ベン・シャハー博士はこう述べている。
親切な行動以上に「利己的」な行動はない。つまり、親切な行動を心がけていれば、
報酬として、幸せという「究極の通貨」を常に得ることができるということだ。
まわりの人と多くのものを分かち合い、
他人の人生に貢献する以上に満足感を得られる行為はない。
どこか1日、普段より5つ多く親切な行動をすることだ。
サンタクロースのモデルになった聖ニコラウスは、
常に幸せという「究極の通貨」を得ていたのであろう。
与えることは、貰うことであり。貰うことは、与えることである。
貨幣システムによって、ついつい見落としてしまう観点ではないだろうか。
聖ニコラウスの善行の一つに、貧しい家の煙突に硬貨を入れたという話がある。
その硬貨は暖炉の近くにあった靴下に入っていたという。
現代日本のクリスマスプレゼントの多くは、靴下に入るサイズではないだろう。
ただし、決して靴下に入らなくとも、
靴下にプレゼントを入れようとしたあなたが多くのものを貰っているのだ。
仏教の言葉に「慈悲喜捨」というものがある。
「慈」(じ)は、慈しみのこころ
「悲」(ひ)は、哀れみのこころ
「喜」(き)は、他者のことを喜ぶ気持ち
「捨」(しゃ)は、偏ったこころがなく中庸な気持ち
これらのこころを無限に広げなさい、というのがブッダの教えだ。
確かに。
「喜」を広げるとプレゼントを貰って喜ぶ人を見て私も嬉しくなるものだ。
さらには、プレゼントをあげようと思ったその瞬間から幸福を感じているものだ。
私が思うに人間は、人生の始めから「在る」を持っていると感じている。
決して、「無い」や「ゼロ」から始まるものではない。
この「在る」は「ギフト」や「愛」といってもいいだろう。
中国の哲学者である老子の言葉に「足るを知る」というものがある。
「足る」とは、十分であること・満たされていることであり、
それが自分の今の状況にふさわしい満足感、という意味を表している。
したがって「足るを知る」とは、現在の自分の状況に満足する、
今、目の前にあるものに対して感謝する、という意味だ。
私たちは、すでに「在る」ことに気づかなくては、感謝はできない。
「感謝」とは、漢字の通り「物事に接して、深く心が動いたことに対して、言葉を射る」ということに端を発する。
踏まえると、「在る」ことに気づかなくては、「接する」ことができない。
すなわち、「深く心が動かない」、「言葉を射ることもない」ということだ。
すでに「在る」はずだ。
愛、優しさ、思いやり、想い、気遣い、気配り、関心、興味、共感、共鳴、願い、祈り、心配、ぬくもり、洞察、考察、感覚、感情、尊敬、敬拝、眼差し、配慮、憂い、嘆き、温度、息吹…etc.
なにもないことはない。
「師走」から始まった話が、
クリスマス、ハラリの人類史考察、ブッタ、老子と経由してきた。
そろそろ2024年に向かおう。
2023年、このコラムシリーズを始めた。
私のつたない文章にお付き合いを頂いた。
心より感謝の意を述べたい。
ありがとう。
来年も様々なことに触れ、多くのことを統合の方向に進めていく。
私の目標の一つだ。
私は、「どちらが正しいか?」よりも「それらをどのように活かすのか?」に関心がある。
そして、「それらをどのように活かすのか?」の先に、
私たちがよりよく生きていくための生成的なアイディアや、人類や世界、
宇宙の普遍的な法則を見出すことができるのではないか、と信じている。
願わくば、それらが世界の平和や、世界が少しでも優しくなることに繋がっていてほしい。
そんなこともあり、引き続きあっち行きこっち行きのコラムになると思うが、
どうか変わらぬご愛顧をお願いしたい。
2024年がすべての存在にとって、幸せで慈愛に満ちた年になりますように。
そのように願っていると…
「来年もやっぱり頑張ろう」
そう思えるのである。
心の旅は続く…
よいお年をお迎えください。
参考文献/URL
(著)ユヴァル・ノア・ハラリ
小林 厚志
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心理
担当
大阪梅田校
所属
脱サラ後、2016年に渡米、資格取得。大手社会人スクールにてNLP講座など担当。 心理学・心理カウンセリング・メンタルコーチング・コミュニケーション系の講師として登壇。年間登壇数150回以上。 パーソナルサポート事業ではメンタルコーチ/心理カウンセラーとして700件以上サポート。 「柔らかい人柄」と「ええ声」で瞑想ファシリテーターとしても活動。
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