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【日本語】 変な日常の日本語
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日本語教師
記事のカテゴリー
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学習に役立つ豆知識・スキル
こんな方に読んでほしい
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日本語教師養成講座受講生
記事から得られること
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日本語と日本人の文化、メンタリティのつながりに関心を持っていただく
電車に乗っていると聞こえてくる、車掌さんの車内アナウンス。
「ドアが閉まります」
何のことはない日常の風景ですよね。
でも、実はよく考えると、不思議な文章ですよね…
電車のドアは、自動ドアではありません。
車掌さんが、車掌室から開けたり閉めたりの操作をしています。
ですから、本来であれば「ドアを閉めます」の方が正しいはずです。
でも私たちは「ドアが閉まります」と聞いても何の違和感も感じません。
同じように、あなたが誰かのためにお茶を入れたとしましょう。
そういった場面で、あなたは何と声をかけますか?
きっと「お茶が入りましたよ」と、何の違和感もなく声をかけるはずです。
でも、よくよく考えると、これも不思議な文章ですね。
お茶が自ら湯飲みに入ることはありませんから…
しかしこうした「ドアが閉まります」「お茶が入りました」は何故間違いではないのでしょうか?
「閉まる」という動詞は【自動詞】です。
自動詞というと『自ら動く』動詞と思われるかもしれませんが、
日本語の自動詞には、『変化の結果を表す』という働きがあります。
例えば…
「私がドアを閉めます【他動詞】。」 ―その結果→ 「ドアが閉まります【自動詞】。」
「私がお茶を入れました【他動詞】。」 ―その結果→ 「お茶が入りました【自動詞】。」
となり、電車のドアが自動ドアでなくても、お茶が自ら動いて湯飲みに入らなくても、使えます。
では何故、「ドアを閉めます」よりも「ドアが閉まります」の方が私たちには自然に聞こえるのでしょうか。
日本人は動作の主体が自分であることを敢えて言い立てないことを良しとする文化を持っています。
この日本人の文化や価値観が、日本語の運用にも影響を与えています。
「ドアが閉まります」という表現は、【自動詞】を使うことで、その結果に焦点を当てて、動作の主体を隠しています。
「お茶が入りました」という表現は、「お茶を入れたのは自分だ」とわざわざ言い立てないことを良しとする
日本人のメンタリティが籠められているということができます。
私たちが普段意識せずに何気なく使っている言葉ですが
よくよく考えると日本語学習者にとっては不思議な表現がたくさんあります。
そこから読み解ける日本語の性格も伝えられるような日本語教師を目指しましょう!
関 一真
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心理
担当
京都四条烏山校
所属
NLP™トレーナー、心理カウンセラー2015年より京都校、大阪梅田校にて心理学系講座を担当。優秀講師賞受賞。個人で心理カウンセラー、占い師としてクライエント様に相談援助を行う。日本語教師資格保有(日本語教育能力検定試験合格)
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