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【CAD】私がCADをはじめたきっかけ
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CADの魅力
横浜校でCAD講座担当、浅野といいます。どうぞ、宜しくお願い致します。
先月まで、CADやCADに関連する内容をテーマとして取り上げて来ましたが、今回は4月入校のフレッシュマンおよび在校生向けに
「私がCADをはじめたきっかけ」
についてお話します。皆様の学習の励みになれば幸いです。
■■1. エンジニアになりたいと思ったキッカケ
私は昭和32年(1957年)、新潟県柏崎市の田舎で生まれました。
国道8号線の途中に「曽地峠 そちとうげ」という峠がありますが、峠の頂上にある「小黒須 こぐろす」という小さな集落が生まれ故郷です。
私が小学生の頃は、ナント家が13件で、よく本校の子に「こぐろすは人口よりもタヌキやモモンガの方がはるかに多い!」と茶化されたものですが、分校の生徒全員も「納得!」でした。本校の子たちはよく小黒須に遊びにきました。
実家の裏山を上ると30分ほどで頂上ですが、日本海、佐渡、出雲崎の「良寛堂」などがよく見え、絶景でした。春は山菜採り、夏はゲンノショウコ採り、秋はキノコ採りなど、1年中山に入っている少年でした。
小学校は分校で複式学級でした。1年生の頃は全校分校で45名で、卒業するころは23名でした。
米どころ新潟らしく、分校には田植え休み!、稲刈り休み!などがありました。
(夏休み、冬休みは短いです。)
実家は農家でしたが、田んぼ仕事や畑仕事は良く手伝いました。当時は子供は貴重な労働力でした。
小学校3年の頃、父親が念願の耕運機を買ったのが、私の運命を決めるきっかけになりました。
ホンダ F610 テーラー 5.5馬力
https://www.honda.co.jp/news/1989/p890524-f610.html
ホンダF610はスーパーカブと並ぶヒット商品です。
それまで田んぼや畑をくわで「なんぎなおもい」で耕していたのが、 F610テーラーで「あっという間に」作業できることに本当にびっくりしました。そして「将来、こんなスゴイの作ってみたい!」と、本田宗一郎氏に強く憧れました。
小学校5年生の時、国有林伐採の仕事で留守にしている父親の目を盗み、F610テーラーをバラバラに分解してみたことがありました。
ところが、いざ組み立てようとしたところ、何度やってもエンジンの部品が余ってしまいます。
「とうちゃんが返ってくるまでになんとかせんとならんスケ!」とわけのわからない越後弁で悩んでいるところに父親が返ってきまして、一発「げんこつ」を頂戴したのち、二人で「あーでもない、こうでもない」と考えながら、遂に組み立て完了し、エンジンがかかった時の感動はいまでも忘れられません。
■■2. CADをはじめたきっかけ
工業学校を卒業したら、バイクで1時間以内で通える、三条の井関農機、柏崎の北日本食品などに就職しようと考えていましたが、第2次オイルショックの影響で、学校にくる求人が極端に少なくなってしまいました!
大慌てで、京都、大阪、仙台などあちこちの会社に入社試験を申し込んだのですが、全滅でした。
諦めずに、就活し、ようやく昭和52年1月に内定が決まり、同年4月入社することが出来ました!
私は「金型」加工の担当で、「倣いフライス盤」という機械を使い、金属の曲面加工や穴あけを行うのが仕事でした。
~「倣いフライス盤」がメカトロニクスに興味をもったキッカケです。~
車やオートバイのボディなどの「木型」を職人さんが作ります。
この木型をトレースし、木型の形そっくりに「金属」を削る機械でしたが、あまりの「そっくりさ」に本当に驚き、メカトロニクス技術の「スゴさ」を初めて知りました。
~「アップル2」がコンピュータに興味をもったキッカケです。 ~
当時、アップルコンピュータ社からApple][ (アップル2)というパソコンが発売されましたが、月給7か月分はたいて、衝動買いしてしまいました!
例によって、新品のアップル2をバラバラに分解し、会社の同僚と「あーでもない、こうでもない」と研究したのが懐かしく思えます。
尚、アップル2のCPUは、初代ファミコンに採用された優れものですよ。
■2-1. CADと電子回路
①手描き回路図、手配線検証時代
当時は、回路図は手描きでした。
回路動作の検証は、ユニバーサルボード基板に電子部品をのせ、手作業で配線、はんだ付けしてからオシロスコープという装置で検証でした。
設計変更による手戻りが多く、企画から回路完成までに非常に多くの時間を要していました。
休日出勤、時間外労働は当たり前でした。当時の電子回路分野は、完全な男性社会でした。
②CAD回路図、CAD検証時代
CADシステムが導入され、回路図は設計者が担当し、プリント基板の配線と検証は分業で行うことが出来るようになりました。
休日出勤や時間外労働から解放されるだけでなく、プリント基板の配線と検証(CAE)を行うため、女性CADオペレータの需要が急増しました。
■2-2. CADと機械
①手描き図面、手作業加工時代
当時、機械図面は手描きでした。
1つの部品の設計変更が、関連する部品やシステムに影響し、図面修正のための労働力は膨大なものでした。
設計変更による手戻りが多く、企画から回路完成までに非常に多くの時間を要していました。
休日出勤、時間外労働は当たり前でした。当時の機械分野も、完全な男性社会でした。
②2DCAD(トレース)時代
2DCADシステムが導入された当初は「手書き図面をCADで写し取る」トレース作業専用に使われていました。
CAD図面データは「再利用する」ことができるので、休日出勤や時間外労働から解放され、女性CADオペレータの需要が急増しました。
③2DCAD(トップダウン設計)時代
2DCADシステムに慣れて来た企業が、計画図は設計者が担当し、部品図などは分業で行う「トップダウン設計」を導入しました。
手戻りや設計ミスが少なく、開発期間もは非常に短くなりました。
④3DCAD(時間軸とパラメトリック変形技術)時代
画期的な3DCADシステム(CATIAやInventorなど)が発売されるにいたり、製造業は大きな転機を迎えました。
2DCADシステムの場合、設計変更は、図面一枚、一枚、関連する図面全てを修正するしかありません。
設計変更に伴う修正漏れが無いか?ダブルチェック、トリプルチェックは当たり前で、検図は本当に大変な作業でした。
ところが…….
CATIAやInventorなどでは、時間を遡って寸法変更(例えばC面取りをC4からC3に変更)すると、
ナント、関連するパーツやシステム全てが一瞬で変更されるではありませんか!
■■3. まとめ
■3-1. 3DCADのDX 「夢をかなえる仕事に必須のアイテム」
3DCADシステムの導入と運用は、DX(デジタルトランスフォーメーション)の一部となりました。
3DCADシステムの技術は「時間外労働」から解放されるだけでなく、
「こんなものつくってみたい!」
つまり、大きさや寸法など、細かいことを考えず、
「クリエイティブな仕事」「夢をかなえる仕事」
に非常に向いています! スタートアップ企業には、欠かせなくなっています。
■3-2. 3DCADのDX 「業務フローの大改革 製造系と建築系のリンク」
3DCADシステムの導入と運用は、DX(デジタルトランスフォーメーション)の一部となりました。
3DCADには「3Dプリント機能」や「プラスチックや金属、木材などの材料機能」があります。
ヨーロッパでは製造系CADでビルを建設し、3Dプリントミニチュアモデルで強度を検証した上で、BIMシステムとリンクする業務フローを持つ企業が続々出現しています。
世界から立ち遅れないためにも、日本の土木、建築業界もこの流れに追従することでしょう。
■3-3. 2DCADは永遠に
3DCADやAIの台頭で2DCADの仕事はなくなる?
….受講生から最も多い質問です。
Answer…
設計業務40年以上の浅野が自信をもってお答えします。
「2DCADは永遠に不滅です!」
細かい寸法やコメントの記入は2DCADの方がはるかに楽です。
3DCADは、寸法のミスや、部品同士の干渉などの「矛盾を絶対に許してくれません」
2DCADは「矛盾を許してくれます」ので、企画会議や打ち合わせんのときに凄く便利です
■3-4. Fightで行きましょう!
2023年4月
・これからCAD講座をスタートされる方
・CAD講座受講中の方
・CADシステムや3Dプリンタに興味をお持ちの方
・ロボットに興味をお持ちの方
・「ものづくり」に興味をお持ちの方
そして…
ヒューマンアカデミー全受講生
頑張って行きましょう!! 応援しております。
越後弁のCAD講師 浅野健一 でした。
参考URL
中越地方【一般道カメラ】国道8号線
https://www.live-cam.pref.niigata.jp/text/camera_select.php?form=2&city=4&area=2&class=1&id=61&highway=
浅野 健一
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CAD
担当
横浜駅前校
所属
自動車部品メーカ/国鉄/専門学校教師を経て、現在、 RME株式会社代表取締役 ヒューマンアカデミー/ポリテクセンター/日本電子専門学校非常勤講師 生産技術/産業ロボット/電子機械システム設計が専門です。 第1級陸上無線技術士/電子科・機械科職業訓練指導員。どうぞ、宜しくお願いいたします。
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