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【心理学コラム】祭り太鼓の心の行方

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  • その他(コラム)

こんな方に読んでほしい

  • 勉強の合間に、暇つぶしや息抜きがあるほうがいい方

記事から得られること

  • 「祭り」の起源、人の暮らし・想い、に関しての「ふ~ん」「へー」

シリーズ
小林厚志の「やっぱり頑張ろう」

自称下町心理学者の小林厚志が、身近にあるのに何となく理解し難い「心」「精神」「意識」をテーマに、
まるで街ブラかのような感覚で「ふ〜ん」や「へー」をお届けします。
お勉強の合間の息抜きに、ごゆるりとお付き合いください。
※学者口調を意識したので敬語が省かれてることをご容赦ください。

蝉の大合唱。時折ゴスペルを思わせる。

心の底から「あつ〜」と口をつく。
先月末に茅の輪をくぐり、
「さぁ下半期‼」と意気込んだのもつかの間。

近年のこの暑さは骨身にこたえる。


私たちは、個人差はあるが、暑い環境に長時間いると身体がストレスを感じやすくなる。
イライラや不安を感じたり、集中力が落ちることもある。
暑い時間帯は無理をせず、集中して何かに取り組みたいときは、涼しい環境が望ましいだろう。

とは言っても、日本の夏は、催し物が目白押し
「暑さなんてなんのその」と盛り上がりをみせることは大変興味深い。

特に私が関西在住ということもあり、日本三大祭りに数えられる祇園祭(京都府・八坂神社)や天神祭り(大阪府・大阪天満宮)が執り行われると、夏の盛り上がりを感じざるを得ない。

夏休みやお盆休みに心躍る人もいるだろう。

私たちは、身体的に辛さを感じる暑い夏を、せめて精神的には健やかに過ごすために、様々な工夫の上に、文化を生み出してきたのではなかろうか。
そして、自然と共に生きる私たちは、その都度、自然の変化と共に生活様式を変化させてきたこともあっただろう。

縄文時代(約16,000年前から2300年前)が始まる前の、旧石器時代(約38,000年前から16,000年前の22,000年間)は、氷河期で、とても寒い気候だった。
最も寒いときは、年間の平均気温が今より7〜8℃も低かったとされている。

氷が地球をおおい、海面の高さは、今より100m近く下にあった。
地球の気温が徐々に上がり始めたころ、縄文時代が始まった。
特に、氷河期が終わった1万年前ごろから暖かくなり、自然環境が大きく変化した。

なかでも縄文時代前期(約7000年前から5500年前)の初め頃は、もっとも気温が高く、地球が温暖化していたとされる。
今よりも2~3℃気温が高く、海の高さは3〜5mほど高かったと考えられている。

日本列島では、海面が上がって、陸の中まで海が入りこむ「縄文海進」が起こった。
温暖化によって、食料となる動物や植物が豊富になり、肥沃な森が作られ、近くなった海では、魚や貝が手に入りやすくなった。

今の東京で見ると、両国などがある荒川周辺に広がる低い土地一帯は海に沈んでいた。
またそれより西側にある渋「谷」や四ツ「谷」などの谷も海になっていたと考えられる。
埼玉では、東京湾から40km近くも離れている川越にまで海が迫っていたとされる。

しかし、縄文時代後期(約4400年前から3200年前)になると、再び寒くなり始める。
寒冷化した日本列島では、海面が下がり、海が遠くなり、貝塚を作っていた大きな集落も少なくなっていった。森の様子も変わり、食べ物や暮らし方も変わっていったとされる。

このように、数千年おきに寒冷化から温暖化、また寒冷化へと環境が変わっていくなかで、私たちは縄文時代を生きていた。
縄文時代は、自然環境との深いつながりから生まれた多様な姿を持った時代だったと言える。

さらに、地球の誕生から46億年の歴史を長い目で見ると、地球は約10万年ごとに暖かくなったり(間氷期)寒くなったり(氷期)を繰り返してきたことが分かっている。

その度に地球の海の高さは100m以上も変動してきた。
その様子は、まるで呼吸をするたびに胸やお腹が上下するかのようだ。

こうして私たちは、大自然には寄り添い、水には馴染む生活を続けてきた。

そう考えると、コロナ禍で自粛期間があったように、真夏の暑い数日間は、何もしない日を全体で行うようにすれば、今のような猛烈な暑さからは解放されるのではないだろうかと推測する。経済至上主義のものたちは大反対だろうが…。
コロナ禍でできたのだから、今からできないということはないと思うのは、私だけだろうか。
そう思わせるほどの日差しが照りつけている。

「夏」といえば、と訊くと、上位に入る回答の一つが「祭り」だろう。
浴衣、屋台、花火、踊り、神輿などが連想されるかと思うが、
そもそもの「祭り」の起源はご存じだろうか?

日本には、古来より、あらゆる万物には神が宿る「八百万の神」という考え方がある。
大自然に寄り添い、水に馴染み、採集や農耕を行ってきた私たち日本人は、太陽や雨、雲、海、山、川、動植物など、すべてのものに神(人知を超えた大いなる存在)が宿っていると信じてきた。

春は豊作を願い種をまき、秋は実りに感謝して収穫する。
自然の神々に五穀豊穣と健康や安全を祈ってきた。
それが儀式・祭りとして人々の暮らしに根付き、世代を超えて伝わっているのだ。

ちなみにだが、「祈る」とは、もともと「意宣る」と書いていた。
「意宣る」とは、「自分の意志や意図を宣言する」ということである。

もしくは、「意乗る」とも書いていた。
「意乗る」とは、「大いなる意図に乗る」ということだ。

なので「祈る」とは、「自分の意志を大いなる存在(万物)に宣言して、大いなる存在の意図に乗せる」ということになる。
すべては、「祈る」ことから始まっているといっても過言ではないだろう。

そして、「祭り」の起源は、歴史書の『古事記』にも「天の岩戸(あまのいわと)」という神話に記されている。

高く澄み渡った空の上に、高天原(たかまのはら)という神々のお住まいになっているところがありました。
そこには天照大御神(あまてらすおおみかみ)という大変尊い神さまがいらっしゃいました。
そこに弟の須佐之男命(すさのおのみこと)という力自慢で、いたずら好きな神さまが訪ねてきました。

須佐之男命は、高天原の田の畔(あぜ)を壊したり、折角掘った溝を埋めたり、天照大御神が新嘗祭(にいなめまつり)の新穀を召し上がる神殿に、糞をひり散らして穢(けが)したりと悪さをしました。

このような乱暴をされても、優しい天照大御神はお叱りになられず「あの糞のように見えるのは、酒に酔って反吐(へど)を吐き散らしたのであろう。田の畔を壊したり、溝を埋めたりするのは、土地をもったいないと思ってのことであろう」と、善い方に言い直され、咎めることはありませんでした。

しかし、ある時、天照大御神が機屋(はたや)で神に奉るための神衣(かむい)を機織女(はたおりめ)に織らせていろと、須佐之男命が機屋の棟(むね)に穴をあけ、斑毛(まだらけ)の馬の皮を逆さに剝ぎ取って、穴から落とし入れました。
すると、機織女はこれを見て驚き、梭(ひ/機織り用具)で陰部を突いて死んでしまいました。

日頃優しい天照大御神も、これには恐れ心を痛めて、天の岩戸を開き、中に隠れてしまわれました。
そのため、高天原はすっかり暗くなり、葦原中国(あしはらのなかつくに)も全て暗闇となりました。

こうして永遠の暗闇が続きました。
あらゆる邪神の騒ぐ声は、夏の蠅(はえ)のように世界に満ち、あらゆる災(わざわい)が一斉に発生しました。

このような状態となったので、ありとあらゆる神々が、天の安川(やすかわ)の河原(かわら)で会合しました。そこで、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の子である思金神(おもいかねのかみ)という賢い神が一計を案じます。そしてまず、常世国(とこよのくに)の長鳴き鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせました。

次に、天の安川の川上の堅い岩を取り、天の金山(かなやま)の鉄を採って、鍛冶師の天津麻羅(あまつまら)を探して、伊斯許理度売(いしこりどめ)に命じて鏡を作らせ、玉祖命(たまのおやのみこと)に命じて、たくさんの勾玉(まがたま)を貫き通した長い玉の緒(たまのお)を作らせました。

次に、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)を呼んで、天香具山(あまのかぐやま)の雄鹿(おじか)の肩骨(けんこつ)を抜き取り、天香具山の朱桜(しゅざくら/桜の一種)を取り、鹿の骨を焼いて占い、神意を待ち伺わせました。

そして、天香具山の枝葉の繁った賢木(さかき/神事に用いる常緑樹の総称)を、根ごと掘り起こしてきました。

上の枝には勾玉を通した長い玉の緒を懸け、
中の技には八咫鏡(やたのかがみ)を懸け、
下の枝には楮(こうぞ/クワ科の落葉低木)の白い布帛(ふはく/タテ糸とヨコ糸を交差させて織っていく織物の総称)と、麻の青い布帛を垂れかけました。

これらの種々の品は、布刀玉命が神聖な幣(ぬさ)として棒げ、持ちました。
天児屋命が祝詞を唱えて祝福し、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩戸の側に隠れて立ちました。

そして、天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、天香具山の日陰蔓(ひかげのかずら)を襷(たすき)にかけ、真拆葛(まさきのかずら)を髪に纏(まと)い、天香具山の笹の葉を束ねて手に持ち、天の岩戸の前で桶を伏せてこれを踏み鳴らし、神がかりして、胸乳(むなぢ)をかき出だし、裳(も/女性が腰から下にまとった衣)の紙を陰部まで押し下げました。

すると、高天原が鳴り轟くほどに、八百万の神々がドォーっと一斉に笑い、どんちゃん騒ぎとなりました。

外が余りにも賑やかなので、天照大御神は不思議に思われ、岩戸を少し開き「私がここにこもって、世界は真っ暗だと思いますが、なぜみなそんなに楽しんでいるのですか?」と尋ねられました。

すると、天宇受売命は「あなたさまより立派な神さまがいらっしゃったので、みな喜び歌い踊っているのですよ」と答えました。
そう言っている間に、天児屋命と布刀玉命が、八咫鏡を差し出して、天照大御神にお見せすると、天照大御神は、いよいよ不思議に思われて、そろそろと岩戸から出て鏡の中を覗き込もうとされました。

その時です。

岩戸の陰に隠れていた天手力男神は、天照大御神の手を取り、岩戸より引き出しました。
そして、ただちに布刀玉命が、注連繩(しめなわ)を天照大御神の後ろに引き渡して、「この繩から内に戻ってお入りになることはできません」と申し上げました。

こうして、天照大御神がお出ましになると、高天原も葦原中国も太陽が照り、みるまに明るくなり、神々も大喜びしました。

この「どんちゃん騒ぎ」が祭りの始まりと言われている。

広い意味で捉えると「祭り」とは、「人々の行いであり、どんなに暗い世の中でも、多くの知恵をもって行動すれば、明るい兆しが見えてくる」というもの。

私は大人になってから、この『古事記』を読み直したが、当時「ひきこもり」が社会現象として大きく取り上げられてたこともあり、「神様もひきこもるんだな〜」と思ったものだ。
神様もひきこもるくらいだから、人がひきこもることなんて、当然のことだと感じたのだ。

そして、「祭りを行う」ということは、前述したように、私たちに「明るい兆しが見えてくる」ということであり、「明るい兆しが見えてくる」ということは、「元気を取り戻すこと」だと考えるようになった。
そう想いながら、浴衣や屋台、花火、踊り、神輿などに興じることがよいだろう。

それから、例えば、「花火」には「納涼」や「景気づけ」「鎮魂」などの意味がある。

「盆踊り」には「先祖供養」の意味があり、神事で「家内安全」「五穀豊穣」「疫病退散」が祈られる。

「祭り」に関わるそれぞれには、何らかの意味が込められている。
そういった観点では、「祭り」は人々の内なる思いや祈りが、営みとして表された形とも言える。

「元気を取り戻し」「よりよくなるように祈る」これが「祭り」の本質であるとし、より一層、暑い夏を乗り切る励みになっていくであろう。

先日、受講生から「第六感」はあるのか?と尋ねられた。
私は、「ありますよ」と応えた。

ご存じの通り、「第六感」は、今の自然科学で証明できたものではないが、
「ない」とするには無理があるだろうというのが私の考えだ。

ここでは「第六感」の定義については割愛するが、
私の推論だが、おそらく「第六感」の要素のひとつは「磁覚」なのではないかと考えている。
「磁覚」とは、磁場の方向、強さ、場所を、生物が知覚することを可能にする感覚である。

渡り鳥やショウジョウバエ、サケ、ミツバチなど多くの生物に備わっている。
地図もないのに、特定の場所まで迷うことなく行き着くことができるのは、この「磁覚」によるものだ。

私は本来、人間にも、この「磁覚」が備わっているのではないかと考える。

身近なところで例を挙げると、近年流行り続けている「パワースポット」と呼ばれる場所は、「ゼロ磁場」であることが多い。

「ゼロ磁場」とは、地球には地磁気があり、この地磁気の磁力であるN極とS極の力が拮抗して打ち消しあい、磁力が存在しない状態である。
ゼロ磁場は、何もない(無)ではなく、プラスとマイナスの大きなエネルギーが均衡のとれた「全て」を持ち、私たちの命を育むエネルギー場を形成すると言われている。

実際にパワースポットを訪れて、何かはよくわからないが何かを感じたことがある人は多いだろう。普段とは違う磁気を「磁覚」しているのではないかと考える。

そして、私の経験則にはなるが、人によって「ゼロ磁場」が造られることがある。
言い換えると、「人はパワースポットを造ることができる」ということである。

おそらくそれは、
ライブ、コンサート、集会、会議…
それこそ「祭り」で体験しているのではないだろうか。

即ち、普段はバラバラな想いのエネルギーが拮抗し合い、
新しいものを生み出すエネルギーが充満する。
アーティストのエネルギーと聴衆のエネルギーが拮抗し合い、
新しいものを生み出すエネルギーが充満し、実際に新しいものを生み出す。

私が知っている限り、感情ひとつ取っても、
ポジティブ感情とネガティブ感情が拮抗し合った時に、クリエイティブな想いが生まれ出す。

私の意識は、暑さを理由にビールを呑めと指令する。

私は甘んじてそれを受け入れ、行きつけの店へと足を運ぶ。

横目に、浴衣を纏った美しい人達が映る。

アルコールが体内を巡り、地球の呼吸を思い出す。

「やっぱり頑張ろう」

そうつぶやく…

アルコールが私の意識を豊かにする頃、
人間の営みがどこまでも愛おしいものであるかに気づかされる。

私たちは、本気で語り合う時に、
この世界の困難を乗り越えるための愛が充満してることに気づくのである。

やっぱり頑張ろう…

心の旅は続く…

参考文献:

現代語訳『古事記』

小林 厚志

  • 心理

担当

大阪梅田校

所属

脱サラ後、2016年に渡米、資格取得。大手社会人スクールにてNLP講座など担当。 心理学・心理カウンセリング・メンタルコーチング・コミュニケーション系の講師として登壇。年間登壇数150回以上。 パーソナルサポート事業ではメンタルコーチ/心理カウンセラーとして700件以上サポート。 「柔らかい人柄」と「ええ声」で瞑想ファシリテーターとしても活動。

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