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【ネイル】現役講師が語る。ネイリストを目指したきっかけ
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ネイル
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こんな方に読んでほしい
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転職に不安をお持ちの方
記事から得られること
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思い切った決断をする勇気に少しでもお役に立てばと思います
私が転職を決意し、ネイリストを目指したきっかけについて今回書かせていただきます。
ネイルの業界に飛び込んだきっかけ…が正確な表現かもしれません。
というのも、今と違ってその頃は…
ネイリストという職業は、まだほとんど認知されていなかったからです。
そもそも【ネイリスト】という言葉は、1985年に日本ネイリスト協会が設立された際に
作られた造語なので、まだまだ40年にも満たない日本では新しい職業の名称です。
・新しい業界
その新しい業界に飛び込んだのが、かれこれ20数年前。
まだ、ネイルサロンがようやく百貨店にできはじめた頃。
その頃私はホテルマンとして働いていて、ある長期滞在の女優の方より
「大阪に行きつけのネイルサロンがないので探してほしい」
というリクエストを受け、調べたのがきっかけでした。
ネイルサロンやネイルスクールの存在を知り「ネイルを仕事にできる」という新たな仕事の選択肢を得たのです。
子供の頃から手先は器用な方だったので、漠然と「手に職」というものへの憧れがあり、また子供の頃からネイルに興味があり、ホテルでの就業規則でもマニキュア禁止、にもかかわらず、こっそり磨いたりマニキュアを塗ったりして楽しんでいたものが、そこでスッと結びつき、仕事としてのネイルに目標が定まりました。
・思い切って転職
行動を起こすのは早く、仕事をしながら休みの日にネイルスクールに通い、約1年後に思い切って転職をしました。
家族を含め、周りからはびっくりされましたが、あの時の決断と行動を後悔していません。
ネイルが年々日本に普及し、現在のようにネイリスト=職業と、皆さんに知ってもらえるようになるなど、その時点では想像を越える現実でした。
・ネイル先進国のアメリカのネイル事情
ネイルサロンで働きだして、ようやくお客様に施術し始めた頃、ネイルの本場アメリカのロサンゼルスで短期講習を受ける研修ツアーに参加する機会がありました。
講習会後の自由時間で何軒かネイルサロン体験をしたのですが、その時の光景が印象的でした。
まず、客層が若い方から高齢のマダムまで幅広く、施術もハンドだけでなくフットケアをされている方もたくさんいること。
そして、それ以上に驚いたのは、ネイリスト(アメリカではマニキュアリストの名称が一般的)の方の年令層も幅広く、私が担当してもらったネイリストさんは老眼鏡をかけた熟練者。
ただ、その姿勢と手さばきがかっこよくて感動!!
ネイルは長くできる仕事なんだと実感できました。
日本も性別関係なく、いろんな年齢層の方がネイルサロンを利用するようになるといいな、とワクワクした気持ちになったことを思い出します。
あれから20数年が経ち、ネイリストという職業が広く認知され、
あちらこちらにネイルサロンもでき、ネイルサロンを利用される方も増えてきました。
これからも更にネイルの魅力、体の一部としての手や足のケアの大切さ、ネイルがメンタル面にもたらす効果を伝え、「手に職」という仕事としての可能性をもっと広げられるよう、1人のネイリストとして、ネイル講師として努力を続けていきたいと思います。
中島 由美子
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ネイル
担当
天王寺校
所属
NPO法人日本ネイリスト協会常任本部認定講師、講師歴23年。 2011年よりヒューマンアカデミー天王寺校にてネイリスト養成講座、認定講師養成講座を担当する他、大阪樟蔭女子大学にて 非常勤講師としてネイル講座を担当。
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